シニアおじさんの家計簿まとめ記事・「最初に」 

家計簿をまとめるにあたって。

50歳の時、私は一部上場企業を自己都合で退職しました。

40代前半に発症した「うつ症」が悪化し、「双極性障害」を発症したことが、退職の大きな理由でした。

働いていた会社は3年ごとに転勤があり、職場の上司、同僚、後輩などが毎年3分の1ほど変わる人間関係の変化が激しい会社でした。

最初の「うつ」で長期入院をした後、私には「要管理社員」というレッテルが貼られました、上司が残業をさせることが出来ない「要管理社員」なので、自発的にサービス残業をしなければならない状況が長く続きました。

ダメダメ上司が転勤してきたときに「そう状態」を発症しました。

「双極性障害」の「そう状態」では、想像を超えるほど活動的になりますが、「うつ状態」よりも命の危険が高まります。

精神神経科の医院長先生から、「病状について上司の方も含めて、一緒にお話しましょう」という助言をいただき、ダメダメ上司に一緒に病院へ行くことをお願いすると、上司から帰ってきた言葉は次の短い言葉でした。

「俺、そういうところ苦手だから、ごめん」

上司が来てくれないことを医院長先生に伝えると、入院をすすめられ、「はい、お願いします」とすぐに入院しました。

定年まで働くつもりで組んだ住宅ローンがたくさんありました。その大部分は住宅財形とう福利厚生制度で会社が保証人の住宅ローンでした。

病院を退院したあとも残業が出来ない「要管理社員」の私が、一番最後に事務所の電気を消して帰宅するサービス残業の日々が続きました。

私は本社の総務部門に電話をして退職金がいくら出るのか試算してもらいました。

会社から借りてる住宅ローンを退職金でギリギリ返済できることがわかり、会社を辞める決断をしました。

本社の労務部門から突然電話が来て、「総務の担当から聞いたのですが、辞めるつもりですか?」

私は「はい、来年50歳になったらやめます、辞めることは家内にも話していないので、職場には伏せておいてほしい」と辞める意向を話したのが半年前の10月ことでした。

「きっと情報が漏れるだろうなぁ」と思っていたのですが、私が辞める2週間前まで支店長以上の上層部以外には知らされず、情報の漏洩がなかった事には感服し、会社の個人情報の扱いには驚きました。

家内には2カ月前の12月に辞めることを伝えましたが、両方の両親には最後まで秘密にして事後報告をしました。

辞める2週間前に職場での告知がありました、驚いたダメダメ上司が「辞めるって本当か? 困るよ、誰がやるんだよ」と言ってきたときに

何と答えたのか全く覚えていません。

職場に退職が公表されてから、私は辞める理由を一切黙っていましたが、元上司や同期や後輩たちから毎日のように電話がかかって、いろいろな噂話も耳に入ってきました。

有給休暇は病気のために使い果たしていたので、退職日の午前中まで仕事をして、午後から机の中の資料を全部廃棄しました。(╯°□°)╯︵ ┻━┻

退職日の終礼で挨拶をしましたが、不思議と涙の1つも出なく冷静だった記憶があります。

最後の挨拶を終え席へ戻ると、ダメダメ上司が「あれ、あの〇〇の件は、どうしたらいい?」と訊ねてきました。

普通は、「長い間、お疲れ様、身体に気を付けて新しいところで活躍してね」とねぎらいの言葉をかけるのが普通だと思います。

退職してまもなく「退職金」が振り込まれました。

私にとっては、2度と見ることが無い大金なので、一旦口座から引き出して自宅へ持ち帰り「札束」の記念撮影しました。

会社から借り入れてた住宅ローンの返済期限は、退職後10日以内でした、「札束」の撮影が終わったらすぐ銀行へ戻り、会社から指定された口座へ振り込みました。

テーブルの上に残ったお金を、MOS美(妻)と半分に分け合い、その日から夫婦の家計は別々になりました。

私は残った大切なお金を増やそうとして「株」や「FX」に手を出し大きく減らしてしまいました。

この「シニアおじさんの家計簿まとめ記事」を始めるにあたり、9月2日(土)に

口座残高の確認やポイントの確認などをして、自分の総資産を出してみたところ、「102万円」であることがわかりました。

「老後、2,000万円問題」の、5% しかありません。

現金、貯金、ポイントなど総資産額が「老後2000万円問題の5%しか無い画像。

貧困シニアですが、日々の家計簿をブログに綴っていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。m(__)m

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アイキャッチ用に作成したAI生成オリジナル画像です。

コメント

  1. 冨樫 無礼子 より:

    こんばんは
    そうだったんですね。

    そのメンタルクリニックに行きたがらなかった上司は昭和型ですね。

    41才の時に初めて精神科にかかった私の場合には、50代の女性係長が、30代の女性部下にパワハラっぽいことをしていて、それを毎日見ているうちに自分にも被害が及ぶのでは無いかと不安になり、睡眠不足になってうつで休職しました。

    それが12月の半ばで、その時点でほぼ次年度の配置が決まっていたのですが、加害者のさらに上司である課長が私を他の部署に配置換えをしたので新しい職場で飛び交っている専門用語がわからず、業務が覚えられず「うつ」から双極性に。

    その前に私が「12月に病気休暇をとる」と初めて申請したときに、決裁をする課長は「私の主治医に会いに行く」と言ってききませんでした。

    この時に私は歌状態でやりとりが難しかったため、労働組合の職員に間を取り持ってもらったのですが、やはり課長の主治医に会いに行く発言はある種のパワハラとみなされました。

    その時点で私は末端のただの非常勤事務員で相手はあと1年で定年退職の安泰の身。

    席は離れていて一応部下と上司の関係ではありましたが、当然普段は挨拶もろくにしたことがない関係性です。

    • cosemon cosemon より:

      無礼子さんこんにちは、
      入院した時の「そう状態は」初めてではなくて2回目でした。
      私の場「そう状態」が終わると、「そう」の程度と長さに比例した「うつ状態」に陥ります。
      初めてのときは数か月、「うう状態」で欠勤しました。
      そして「そう状態」の方が、命にかかわります。
      「もう、いいや じゃあね」みたいな軽いのりで「じ〇つ」してしまう不安定さがあります
      今、通院してる病院にたどりつき医院長先生と会わなかったら、今ここにいませんでした。