シニアおじさんの家計簿まとめ記事・「最初に」 

家計簿の一番上部の金額が、最新の残高になります。記事は5日ごとに連続しています。

残高をすべて表示すると複雑になるので、主だったもののみを表示させていただきます。


家計簿をまとめるにあたって。

COSぇもんは、50歳の時に一部上場企業を自己都合で退職しました。

40代前半で発症した、「うつ症」をこじらせて「双極性障害」にしてしまったことが大きな理由でした。

3年ごとに転勤のある会社で働いていました、職場の上司、同僚、後輩などが毎年3分の1ずつ変わる人間関係の変化の多い会社でした。

最初の「うつ」で長期入院をしてから「要管理社員」というレッテルが貼られました、上司が残業をさせることが出来ない「要管理社員」なので、自分でサービス残業を行わざる得ない状況が長く続きました。

「双極性障害」の「そう状態」のときは活動的ですが、「うつ状態」よりも命の危険があるのが「そう状態」です。

その上司のもとで「双極性障害」の「そう状態」を発症した時に精神神経科の医院長先生が、「上司の方を含めて、お話しした方が良いと思います」という助言をいただき、上司に医院長先生の話を一緒に聞いてほしことを伝えると、上司から帰ってきた言葉は次の短い言葉でした。

「俺、そういうところ苦手だから、ごめん」

上司は来てくれないことを医院長先生に話をすると、

医院長先生は「COSぇもんさん、入院しましょう」

「はい、お願いします」

定年まで働くつもりで無理しすぎたマイホームの借金がたくさんありましたが、借金の8割は会社が保証人で会社の福利厚生で積み立てた財形貯蓄の4倍まで借りることが出来る借金でした、

私は病院を退院すると、本社の総務部門に電話をして退職金がいくら出るのか試算してもらいました。

会社から借りてるマイホームの借金分を退職金で返済できることが確認ができると同時に会社を辞める決断をしました。

総務部門を通じて労務部門から電話が来て、「辞めるつもりですか?」

私は「はい、来年50歳になったらやめます、辞めることは家内にも話していないので伏せておいてほしい」とお願いしたところ、

私が辞める2月末日の2週間前まで支店長以上の上層部以外には、まったく知らされなかった事には感服しました。「きっと情報が漏れるだろうなぁ」と思っていたので、この個人情報の扱いの硬さには驚きました。

辞める2週間前に職場に告知されました、驚いたダメダメ上司が「辞めるって本当か? これ誰がやるんだよ!」と言ってきたときに

何と答えたのか全く覚えていません。

家内には年前の12月に辞めることを伝えました、両方の両親には最後まで秘密にして事後報告でした。

職場に告知されてからは、いろいろな噂話なども耳に入ってきました。私は一切黙っててもどんどん広がり、元上司や同期や後輩たちから毎日のように電話がかかってきました。

有給休暇は病気のために使い果たしていたので、辞める日の当日まで仕事をして、午後から机の中の資料を全部廃棄しました。(╯°□°)╯︵ ┻━┻

2月末日の終礼で最後の挨拶をしましたが、不思議と涙の1つも出なく冷静だった記憶がありますが、最後の挨拶を終えた後に、ダメダメ上司が「あれ、あの〇〇の件は、どうしたらいい?」と訊ねてきました。

普通は、「長い間、お疲れ様、身体に気を付けて新しいところで活躍してね」だと思うのですが。

なんと返事をしたのかは、もう覚えていませんし、それから2度と会っていません。

退職してから異例の数日後に「退職金」が振り込まれました。

2度とお目にかかれない大金なので、一旦口座から引き出して持ち帰り「お札」の記念撮影しました。

会社から借り入れてたマイホームの借金返済は、退職後1週間以内に指定してもらいました、「お札」の撮影が終わったらまた銀行へ戻り、聞いたことない口座名義にほとんど振り込みました。

テーブルの上に残ったお金を、MOS美(妻)と半分に分け合ってから夫婦の家計は別々になりました。

私は大切な残ったお金を増やそうとして「株」「FX」で相当減らしてしまいました。

この「シニアおじさんの家計簿まとめ記事」を始めるにあたり、9月2日(土)に

口座残高の確認やポイントの確認などをして、自分の総資産を出してみたところ、「102万円」でした。

「老後、2,000万円問題」と比較すると、5% しかありません。

現金、貯金、ポイントなど総資産額が「老後2000万円問題の5%しか無い画像。

貧困シニアですが、日々の家計簿をブログに綴っていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。m(__)m

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コメント

  1. 冨樫 無礼子 より:

    こんばんは
    そうだったんですね。

    そのメンタルクリニックに行きたがらなかった上司は昭和型ですね。

    41才の時に初めて精神科にかかった私の場合には、50代の女性係長が、30代の女性部下にパワハラっぽいことをしていて、それを毎日見ているうちに自分にも被害が及ぶのでは無いかと不安になり、睡眠不足になってうつで休職しました。

    それが12月の半ばで、その時点でほぼ次年度の配置が決まっていたのですが、加害者のさらに上司である課長が私を他の部署に配置換えをしたので新しい職場で飛び交っている専門用語がわからず、業務が覚えられず「うつ」から双極性に。

    その前に私が「12月に病気休暇をとる」と初めて申請したときに、決裁をする課長は「私の主治医に会いに行く」と言ってききませんでした。

    この時に私は歌状態でやりとりが難しかったため、労働組合の職員に間を取り持ってもらったのですが、やはり課長の主治医に会いに行く発言はある種のパワハラとみなされました。

    その時点で私は末端のただの非常勤事務員で相手はあと1年で定年退職の安泰の身。

    席は離れていて一応部下と上司の関係ではありましたが、当然普段は挨拶もろくにしたことがない関係性です。

    • cosemon cosemon より:

      無礼子さんこんにちは、
      入院した時の「そう状態は」初めてではなくて2回目でした。
      私の場「そう状態」が終わると、「そう」の程度と長さに比例した「うつ状態」に陥ります。
      初めてのときは数か月、「うう状態」で欠勤しました。
      そして「そう状態」の方が、命にかかわります。
      「もう、いいや じゃあね」みたいな軽いのりで「じ〇つ」してしまう不安定さがあります
      今、通院してる病院にたどりつき医院長先生と会わなかったら、今ここにいませんでした。